はしっこの家 1

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意図を手放し、
流れに乗ることだけを考えていたら、
この「はしっこの家」にたどりついた。

窓から、国境の港と灯台が見える。
さらにその向こうは海。

家の前には原っぱがある。
室内の光に、海の碧と草の緑が映る。

私はたいてい、すべての窓を開け放している。
いつも家の中に風が吹いているから、
まるで舟の上にいるようだ。
嵐が来きたら、きっと波の砕ける様が見えるだろう。

        *

このブログは、一週間ほど時差をつけて、
公開しようと思う。
なんとなく、その方がいいような気がして。
つまり、誰かがこれを読んでいる瞬間、
私はすでに地球の裏側にいる、なんてことも起こりうる。
それから、時々、文章に本当でないことが混じるかもしれない。
たとえばヒトとか生き物が出てきたら、
ウソが混じっている可能性あり、
と思って読んでください。

なにしろ、はしっこは、
時たま妙なことが起こるから。

はしっこの家 2

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はしっこの家は、シンプルな箱のような形。
コンクリートで作られている。

海が近いから、常に塩分を含んだ空気を浴びている。
コンクリートも金属も、建てたそばから腐食が始まる。
ここらへんの家は、そういう環境を、
あらかじめ覚悟の中に含めて建てられている。
自然と暮らせば、ぼろぼろになるのは当然である、
という考え方が基本にあるのだと思う。

あちこちに隙間が空いていたり、
壁が崩れかけていたりする。
でこぼこしていたり、すかすかしている。
何かがちょうどぴったり、ということはない。
ちょっとばかりひどすぎる、と感じたら、
(その人の感覚によってそれぞれだけど)
直し直し使っていく。

室内は、八畳ほどの板の間にキッチン、
シャワーとトイレ、土間の物置がついている。
家というには、ちっぽけな空間だ。
海の小屋だ。

初めてこの家を見せてもらった時、
中南米の家みたい、と思った。
ラフで、アバウトで、開いている感じが。
空間に、無国籍の匂いがした。

はしっこの家 3



この家には、窓のような、扉のような、
ガラス戸が、五カ所ある。

東の掃き出し窓。
大きな一枚ガラスの南の窓。
西のガラス戸。
家の中でつながる物置も、
東と西に戸があり、通り抜けられる。
人間や動物は、どこから出入りしてもかまわない。

窓をすべて開け放つと、風がびゅうびゅう吹き抜ける。

その中で、一番、玄関に近い形をしているのは、
西のガラス戸ということになる。
でも、不思議なことに道路は家の東側にあるのだ。

西の方角には、小さい原っぱと海があるだけ。
この扉から、いったい誰がやって来るのだろう。
海から来るもの?
空から来るもの?

さいはての島

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島は、西の最果てにある。
太陽が沈む時間は、とても遅い。
その時刻になると、ようやく暑さがやわらぎ、
心地よい風が吹く。

直射日光が苦手な私は、
(それなのに、なぜか亜熱帯に来てしまった…)
日が沈んだのを見計らって、島内探検に出かける。
完全に夜が来るまでの1時間。
気に入った場所を見つけたら、
草の上に腰を下ろし、海と空を見る。

色が、刻々と変わる。
美しい、という言葉は、そのうち使わなくなるだろう。
毎日繰り返される普通のことだから。
都会にいる時は、ほんのひとしずくの自然を求めて、
一生懸命になっていた。
この島には、したたるように自然が満ちている。
その贅沢さにまだ慣れない。


スーパーカブ



この島は起伏が激しく、集落間の距離もかなりある。
徒歩や自転車では、移動することが難しい。
私にとって、「いつでも自由に動ける」ことは、
生きる上で、必要最低条件だ。

そこで、私の「足」として手に入れたのが、
世界の名車、スーパーカブ。
頑丈で、働き者で、燃費もすばらしい。

でこぼこ道もなんのその。
雨の日も、風の日も、がしがしと走ってくれる。
カブは、ギアがあるから、
オフロードも意外とOKなのだ。

エンジンは110cc。
ナンバーはピンク。
原付だけど、二人乗りもできる。
車体のブルーが、島の海の色に映える。

島を走ってみたら、これが本当にしっくり来て、
カブのない生活なんて、もう考えられない。



食べる森

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オオタニワタリという植物を食べてみたかった。
島の住人に、聞いてみた。

「どこに生えているんですか。」
「もう、そこらへん、どこにでも。
 勝手に取っていいんだよ。」
「そこらへん、って言っても、たとえばどこ?」
「じゃあ、着いてきて。」

そして、すたすた歩き出した。

「ほら、あそこでしょ。
 ここにもある。」

その人が指さすと、本当に、そこらへん、どこにでも、生えている。
今まで「見えなかった」だけだ。
でも、人のうちの石垣に生えてるやつなんかは取りにくいなあ、
という顔をしていたら、
しょうがないなあ、と言って、
いろいろな植物が自生している森を、こっそり教えてくれた。

グァバ、パパイヤ、島バナナ、桑の実、
オオタニワタリ、名前を知らぬシダ。

「早いもの勝ちだからね、他の人には内緒だよ。」

そう言いながら、その人は笑った。

シダの先っぽのくるっとしている柔らかい部分を、
手で摘んで食べると、豆のような味がする。

森に入る道は、どこかの作業場につながっているらしく、
かろうじて舗装してあった。
そうでなければ、あっという間にジャングルになるのだろう。
草木が混然と絡まり合う天然の森に、
ヒトが入るなら、それなりの装備がいる。


未来の生き方

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なぜ、はしっこで暮らし始めたのかを書いておこう。

実のところ、計画なんてものはなくて、
気がつくと、この島にいた、というのが正しい。
私をここまで運んだのは、馬、だ。
それは、とてもはっきりしている。
もちろん、本当に馬に乗って、
海を渡ったわけではないけれど。

ここ数年、人に尋ねられたら、
私の主たるテーマは人間の未来、
と言うことにしている。
他に表現の仕方を思いつくまでは。

そんな大層なことを、と思わないでもないが、
私の頭はなぜか、そういうことばかり考えてしまう。

それは未分化のもの。
既存の価値観では、決して触れないもの。
目標を具体化したり、計画を立てた時点で、
エッセンスを取り逃がしてしまう、
そういう性質を持つものだ。

そのように、曖昧で、抽象的な世界に対して、
どのように取っ掛かりを求めるか。

考えたらわからない。
だから、ある種の賭けをするように、
自分の手の内にあるものを手放していった。
その時、私の前に現れたのが、「馬」だった。
まるで予想もしない方角から、
繰り返し、繰り返し、馬が現れる。
その現れ方の感触に、未来の匂いがした。

運命というのは、まったく計り知れない。
「馬」というキーワードに反応しているうちに、
事態はするすると動いていき、
こうして私はさいはての島にいる。

この島に生きる馬は、野生と共生(ヒトとの)の狭間にいる。
馬と暮らす、ことを考えた時に、
これだけの条件を備えた土地は、そうないだろう。

私がこの島でやっていることをひとことで言えば、
未来の生き方を探る実験、のようなもの、だろうか。

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