攻撃5

『攻撃―悪の自然誌』について、最後です。

読んだことをベースに、
カディの攻撃衝動について考えてみたいと思う。

カディと私の関係は、1対1だ。
これは、やはりむずかしいところがある。

カディの攻撃衝動を向ける相手は、
私しかいないから、
なにかのきっかけで、それが出てきても、
不思議はない。

たとえば、馬や犬を見ていても、
競い合ったり、
小さなけんかができる仲間がまわりにいると、
群れ全体の精神性が健やかに保たれる感じがする。

カディと私は、そういう状況の中にいない。
でもそれが現実なんだから、なんとか工夫しながら、
できることをやっていくしかないだろう。

なにか別の形で、
攻撃欲求を解消できる経路は、
ないだろうか。

そう考えながら本の中を探してみると、
いくつか、ヒントがあった。

たとえば、儀式。
戦いのデモンストレーションをすることで、
攻撃のエネルギーは放出される。
祭りのような熱狂的な行事で、
人々の中に溜め込まれたエネルギーが放出されるのは、
そういう意味合いもあるのだろう。

このことと関連して、
どういうわけか、私の頭の中には、
「ダンスのような感覚」
というイメージがが浮かんでくる。
時に激しく、時に静かに、
流れるように躍動するもの。

加えて、お互いに集中しながら、
共に新しいことを学んでいく、というプロセスは、
エネルギーの使い方として有効ではないか、と考える。


フロイトは、性と死への衝動が、
あらゆる心理の根底にある、と言った。
そして攻撃性については、
生命を破壊する方向にあるととらえていた。

ローレンツは、攻撃性を、
生物が種を維持するためにある、ととらえた。
本来は意味のあるものだと。

生きようとする、つながろうとする、
そのエネルギーがあるから攻撃衝動は起きる。
私はそうとらえようと思う。

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