哲学者とオオカミ


哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン哲学者とオオカミ
マーク・ローランズ

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こういう本がある、ということを知った時、
ちょっと震えるような感覚があった。

動物と一緒に暮らすヒトはたくさんいるけれども、
どういうスタンスでその関係性をとらえているかによって、
触るものはまったく違う。

その点、この著者が触っている世界は、
私が触ろうと手を伸ばしている世界と、
かなり近いところにある、という予感があった。

本書は、大学で現代哲学を講じる若き学者が、
一匹のオオカミと出会い、10年間共に暮らし、
その死を看取るまでを記したユニークな読物である。

とにかく、ブレニンと名づけられたオオカミの、
生き生きとした姿、存在感、野生の輝き、
そして共同生活をする中で振り回され続ける著者の姿が、
本当におもしろくて、最後まで一気に読んでしまった。
特に、ブレニンが死を迎える瞬間の記述は、
もう涙なしに読めないので、
動物好きのヒトは覚悟してください。

さて、著者は哲学者である。
それだけでは終わらない。
オオカミとの暮らしから生じる様々なトピックが、
当然、思索の道へとつながるのだった。
現実的に、動物との関わり合いをどうとらえるか、
というテーマにおいても、
さらに根源的な、
ヒトとは何かというテーマにおいても、
著者はひとつひとつ問いを立てていく。

そう、そうなんだよ、
と、なんども思う場面があった。
私もつい、
いろいろなことを問うてしまうたちなので。

ただ、なんといっても、この著者は、
若くて頑健な体を持ち、なおかつ鍛え、
ハンサムで(自分でそう言っている)、
頭脳も優秀な「白人の男性」である。

当然、導き出される答えも、
その傾向に沿ったものになる。

そういう意味では、同じ問いに対して、
私なら違う答え方をするだろうな、
と思うところも多かった。
体力がなく、美しいとはいえず、
頭もぼけつつある「アジア人の女性」としては。

たとえば、彼は動物に対する正義をつらぬくために、
自らは完全なヴェジタリアンになり、
オオカミであるブレニンにも肉食をやめさせる。
ちょっと極端な気がする。
その気持ちはわからないでもないけれど…。

にもかかわらず、
こんなにいくつも相違点がありながら、
最終的に帰着するところは、
ああ、やはり、と感じる場所になったので、
それも興味深かった。

動物とずっと生活を共にしたヒトだから、
そういうことになるのだろうか。
実際に、ダイレクトに、
深くコミットしたヒトにしか、
わからないのではないかと思う感覚だ。

動物は瞬間を生きている。
ヒトは相手を弱くして自分に有利に働くよう操作する、
かなり邪悪な生き物だけれど、
ほんの時たま、「瞬間」を感じることがある。
それはけっして、すばらしかったり、美しかったり、
するものとは限らない。
一番大切なのは、あらゆる運が尽きた時、
自分がどういう人間であるか、ということだ。
その時にこそ、そのヒトの本質が問われる。
そのようなこと。

私が馬と暮らし始めたのは、
たぶん、ヒトとの間だけでは、
けっして触ることのできない何かを、
感じ、触り、養っていくためだと思うことがある。

私はこの本の著者と違って、
もっと曲線的で矛盾に満ちていて、
それでも未来の養分となるような、
そういう流れを指向している。

いつか、馬との暮らしから学んだことを、
社会に向けてアウトプットできる日が来るだろうか。
そうであればいいなと思っている。

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